↑英語の勉強に役立てよう!↑

Endless Dream!-英語で世界・・・
お勉強ではなく勉強をしよう
英語学習の根底におくべき心構え

 このページでは、英語学習の根底におくべき心構えをまとめます。せっかくの英語学習を無駄にしないためにも、このページにある心構えを参考にしてね!

<とにかく楽しく!> <英語はスポーツ!> <お勉強ではなく勉強をしよう!>


<とにかく楽しく!>

 「英語で世界・・・」にも英語学習支援コーナーと書いているように、英語は勉強しなければいけない側面が多いことは否めない。楽しみや実践からだけではなかなか英語力が身につかないから、英語の勉強もやっぱり大事なんだ。でも、はまってはいけないのが次の図式。

 「勉強」→「努力と根性が必要」→「自分を追い込んで勉強する」→「できないと落ち込む」→「自分の能力を疑う」→「もっと必死に努力する」→「その割に効果が上がらない」→「英語がつまらなくなっていく」

 これは1つの例だけど、けっこう当てはまる人いない?英語を勉強する対象として考えすぎると、英語を学ぼうと思った本来の目的、つまり「英語で○○」を見失ってしまうんだ。簡単に言えば、英語で何かをするのが目的で、そのための手段として英語を勉強していたのにも関わらず、英語を勉強しているうちに英語学習自体が目的になってしまうということ。そして、手段が目的になってしまうと、学習効果が格段に落ちてしまうんだ。

 でもこれは、仕方のない面がある。僕らは通常、学校で英語を勉強し始める。学校だから当然、テストや成績表で評価され続けてきた。その時のことは、学校以外で英語を学ぶ時も、学校教育を卒業した大人が英語を学ぶ際にも抜けないぐらい、強く心の奥に焼き付いてしまう。だから、「手段として英語を身につけるぞ」と思っていても、次第に英語を勉強すること自体が目的に変わっていってしまうんだ。しかも、できないと恥に思って、ますます自分を追い込む結果になる。

 でも、英語力(というよりも全ての勉強や学習)は、才能とは全く関係ない!もちろん記憶力や集中力や語学のセンスがある人は人より短い時間で身につきやすいだろうけど、上達のペースが人によって少し違うというだけにすぎない。それを証拠に、英語を母国語とする人は、英語力がある人が大多数でしょ。才能がないと英語が身につかないなら、彼らはみんな天才になってしまう。そんなことないよね?彼らがもし日本語を身につけようとしたら、僕らが英語を身につけようとする時に感じるのと同じ苦しみを感じるはず。才能がないと英語が身につかないなら、僕のような凡人はとっくに英語学習や英語教師からは足を洗うよ!(笑)

 また、僕ら日本人は日本語がちゃんと使える。ということは、僕らにも言語を身につけられるだけの能力は備わっているんだ。しかも、日本語は言語学的に見ると、実は非常に難しい言語なんだよ。日本語のような複雑な言語を使える僕らが、英語のような単純な英語をできないわけがないんだ!

 僕らが英語を難しく感じるのは、英語自体が難しいのではなく、英語が外国語だからにすぎないんだ。人によってかかる時間は違うけど、英語はちゃんとやれば必ずできるようになる!だから、なかなか効果がでなくてあせったり、できなくて落ち込んだり、自分を責めたりする必要は全くないよ!そもそも学校の勉強とは違うんだから、周りと比べたり、「いついつまでに○○できるようにならないと・・・」など、自分を追い込んでしまうこと自体がナンセンス。そうやっても英語は身につくとは思うけど、そうやって追い込んで苦しんでつけた英語力って意味あるのかな?

 だから、英語はとにかく楽しく勉強しよう!自分を追い込まず、楽しんで学んだ英語は絶対に役に立つし、何と言っても英語を学ぶこと自体が楽しいから、積極的に長く勉強できる。その結果、英語力は飛躍的に上がりやすくなるからね。


<英語はスポーツ!>

 これは僕が授業でもよく話すことなんだけど、英語なんてスポーツみたいなものだと思うんだ。よく、「英語は学問のように頭で覚えるのではなく、スポーツのように体で覚えるもの」と言われる。僕もそれは正しいと思うし、授業でも言うことがあるけど、ここで僕が言う「英語はスポーツ」というのは、違った観点からのもの。

 スポーツをやった人は多いと思うけど、じゃあ例えば、新しくテニスを始めたとするよね?最初は見た目より難しくて、簡単な球も打ち返せなくって大変かもしれない。でもだんだんとラリーが続くようになれば楽しくなるし、じゃあ次は試合でもやってみるかってことになる。最初は負けてばっかりかもしれないけど、だんだんコツをつかんだり技術が上がったりし、試合も勝てるようになって、ますます楽しくなる。こうやって段階を経ると、もっとうまくなろうっていう向上心がどんどん芽生えてくる。これって英語の勉強と同じじゃない?

 あとね、スポーツって上達することだけが大切じゃないよね。あまりうまくならなくたって、その人が楽しくやっていればOKだし、実は上手くなることより楽しめる心の方が重要だとも言えるんだ。逆に、うまくなると悩みが多くなったりして、始めたころの純粋な楽しさを見失ってしまうことがある。これも英語と一緒。うまいへたじゃなくて、その人がその人なりに楽しめているかが大事。英語力がそれほどなくたって楽しくコミュニケーションをとっている人と、英語力はすごいあるけどそれを鼻にかけてえらそうに話してる人、どっちが魅力的かな?

 1つのスポーツがなかなかうまくならなくたって、楽しければ続ければいいし、楽しくなくなったらやめて他のスポーツに移ればいい。テニスができなくたって、スポーツ全般が苦手だって、他の趣味を楽しんでいる人はたくさんいるよね。だから英語が楽しくないなら、無理して英語を学ぶ必要なんて全くない!

 そう、極端に言えば、「英語なんてできなくたって全く問題ないんだ!」英語の先生をやってる僕がこういうことを言うのは変かもしれないけど、英語なんかできなくたって日本にいる限り全く困らないし、海外に行く時だって通訳さんを雇えばいいだけの話でしょ?英語を身につけないと国際人じゃないなんてことは全くない。英語がいくらできたって、他者との違いを認めて楽しめる余裕の無い人間じゃないと、その人が持つ英語力なんて無意味じゃない?だから、無理は禁物だし、英語なんて趣味の1つだって考えればいいんだ。

 ただね、何か新しいものを始めたからには、できるようになった方が楽しみが増える!スポーツはまさにそう。下手でも楽しいけど、それはうまくなればうまくなるほど楽しみやチャンスが増える。また、英語やスポーツに限らず、新しいものに挑戦する精神ってのも、とっても大事だと思うんだ。人間性を豊かにする上でね。あと、さっき通訳雇えばいいと言ったけど、お金だってかかるし、いつも雇えるわけじゃない。そもそも、たとえ完璧であっても他者を使った間接的なコミュニケーションよりは、下手でも間違っててもいいから自分で直接コミュニケーションをとった方が心が通うし、何と言っても楽しい!スポーツは観るのも楽しいけど、実際に自分でやった方が断然楽しいのと同じ。もちろん困難さも伴うけど、だからこそいろいろな意味で貴重な経験になるんじゃないかな?だから、英語を学ぶのはとてもいいことだし、やったからにはできるようになるように努力した方がいいと思うんだ。

 とにかく、英語なんてスポーツみたいなもの。「やるからにはできるようになった方が楽しいから、ちょっとがんばってみっかな!」ってなぐらいの、気楽な気持ちであせらず着実に学んでいこう!そうすれば、楽しみを失わないで英語力を上げることができるからね。


<お勉強ではなく勉強をしよう!>

 学校での英語の勉強が悪影響を与えていると書いたけど、誤解しないで欲しいんだ。僕は学校の英語教育を批判しているわけじゃない。それどころか、少し考え方を変えるだけで、学校の勉強はとても役に立つんだ。

 よく、「中学3年間、高校3年間、大学4年間と、何年も学校で英語を勉強しているのに日本人は英語が話せない。だから日本の英語教育は間違っている!」と批判する人がいるけど、僕から言わしてもらえばそれは単なる極論にすぎない。学校の勉強をやれば英語力の土台はしっかりとつく。その証拠に、日常会話で使われる語彙の約90%は中学3年までで習うものでまかなえると言われてる。ってことは、中学3年間で学んだものを使えば、十分日常会話ができるってこと。だから学校で学んだ力を生かせれば、十分英語を使ってコミュニケーションを取ることは可能なはずなんだ。

 なのになぜできないのか?これは教育制度の問題ではなく、学習の本質を見失っている人が多いからだと僕は思っている。そして、僕もその1人だったんだ。

 まずは、生徒の姿勢に問題がある。とりあえずこなせばいいといった感じで授業を受けて、定期テストの前だけ勉強する人が大半。僕もそうだったもの。(笑)僕の学生時代はテニスが第一だったから、学校の勉強は本当に最低限しかしなかった。これでは身につくわけないよね。定期テストのためだけに勉強したって、テストが終わったらすっかり忘れちゃうもの。使えるようになるには、短期記憶ではなく長期記憶にしないといけない。そのためには繰り返しが大事なんだ。だから、学校の勉強は取り組み方がとても大事だってこと。

 それじゃあ、長期記憶になりやすい受験勉強はどうか?定期テストのためだけ勉強するよりは、よっぽどいい。大学で教えていて感じることだけど、やはり受験を経験している生徒の方が、推薦で入る生徒よりも英語力が高いことが多いからね。でも、その英語を使えるかとなると、必ずしも受験の時の学力とは一致しないんだ。特に英会話をする時は、テストができる生徒の方が苦手ということが本当によくある。理由はいろいろあるんだけど、受験は一斉試験の性質上、リーディングがメインになる。だから、テストのためのリーディングの能力はあっても、他の技能が高いとはいえないので、受験の時の英語力が使える英語力とは一致しない場合が多々あるんだ。

 ちなみにこれも僕自身が経験してきたこと。僕も受験の時は英語が(というか英語だけが)得意教科だったし、英語の先生になりたいと思ってたぐらいだから、英語は大好きだった。でも大学に入って、特にネイティブの先生の授業を受けた時は、本当に苦痛で仕方なかった。だって、全然聞き取れないし、全然しゃべれないんだもん。得意だと思ってたから余計に、このショックは大きかったんだ。このショックは大学だけじゃなく、大学院に入ってからもしばらく続いた・・・

 これを解消できたきっかけについてはいろいろとあるので各ページで少しずつ書くけど、一番大きいのは姿勢だったんだ。英語をとにかく勉強しようと思っているうちはなかなか使えるようにならなかったけど、英語を使えるようになるために勉強するようになったら、一気に上達のスピードが速まった。あと、その時までに学校や受験勉強で学んだリーディング中心の英語力をその他の技能に広げるようにしていったら、上達の速度も高まった。だから、僕自身、考え方や姿勢次第で、学校教育で学んだことがとても役立つことを実感できたんだ。

 そもそも英語に限らず、勉強の本質は「興味のあるものを自分の意志で積極的に学ぶこと」。周りから与えられたものをこなすのは、「勉強」じゃなくて「お勉強」。そしてお勉強は、なかなか自分の力にならないんだ。だから、英語学習で大事なのは、「お勉強」ではなく「勉強」をすること!そうすれば積極的に英語を学べるから、英語力が上がりやすくなるからね。

 もちろん、必要上自分のやりたくないことを学ばなければいけない時もある。つまり。お勉強をしないといけない時もあるんだ。例えば、英会話ができるようになりたい人で英語で話すのは好きだけど、文法の勉強とか単語を覚えるのは面倒でつまらないから嫌いって人がいるけど、正直それではなかなか英会話ができるようにならない。でも、好きじゃないことをやりすぎるせいで、元々持っていた英語でコミュニケーションをする楽しさを見失って、英語自体が嫌いになってしまったら意味がない。そうなるぐらいだったら、自分が好きな英会話だけ勉強するのも悪くない。それで行き詰ったら、文法や語彙をお勉強すればいいだけだしね。また、好きな英会話力を効率よく上げるために文法や語彙の勉強をすると考えれば、嫌いなことも積極的にできるんじゃないかな?さらに、好きなことと関連づけて学べば、お勉強が次第に勉強に変わっていく。だから、お勉強を勉強に変えることは、考え方次第で十分にできるんだ!

 さっき書いた日本の英語教育への批判自体に、勉強ではなくお勉強をしている人が世の中にいかに多いのかが現れてる。学校で教えられることだけが勉強じゃない。生徒がどのように学校教育に取り組むかが大事だし、学校で学んだことをどのように生かしていくかが大事なのにね。そうしないと、学校終わったら勉強が終わりってことになっちゃうでしょ?学校は知識を教わるだけじゃなく、その知識をいかに生かせばいいのかや、学校以外でどのように勉強すればいいのかを学ぶところでもあるのにね。その意味では、学校で学ぶことをいかに生かせるかが、英語上達の大きなカギになるんだ。

 もちろん、勉強の楽しさを教えるのも学校教育の重要な役割ではある。だから僕も、できるだけ生徒達が勉強の楽しさを感じ、授業以外でも積極的に英語を学べる基を作れるように教えているつもり。でも、全部できるわけじゃない。カリキュラムが指定されている場合も多いし、使える英語力を上げるためにはお勉強を強要しないといけない時もあるんだ。でも、単なるお勉強に終わらないように、なぜそれを学ぶべきなのかや、それをどのように生かせばいいかも教えている。まだまだうまくいかないことも多いので、試行錯誤の毎日だけどね。

 とにかく、「お勉強ではなく勉強をする」という姿勢をしっかり持たないと、英語はなかなかできるようにならない。特に、学校教育が終わった大人が英語学習をする際には、自分で何をどのように学ぶかが、とても大事なんだ。だから、英語学習をする際には、このことを頭に留めておくようにしようね。